今日は子育てのお話からちょっと離れまして。
だいぶ旬が過ぎてますが(笑)先日やっとWOWOWで
映画「
容疑者Xの献身」を観ることが出来ました。
福やん大好きないたちむら&ハゼさんとしましては
この放送日を待ちに待っておりました~。
ええ、そりゃあもちろん本当だったら公開初日に映画館へ
行きたいところでしたよ。しかし子育て中のいたちにとって
映画館など高嶺の花。パニック持ちにとっても難易度高ですし。
んで、その観賞熱冷めやらぬうちに、一緒に東野さんの原作本も
読みまして。てなわけで、今日は勝手にそんな二作品のお話を。
ああ、今日は母乳の話もお産の話も忘れて、語らせて…
(まだ観てない方、読んでない方もだいじょぶです☆
なるべくネタバレしないように書きますのでご安心を~)
ていうか、まずね。とりあえず言わせてもらいますよ。もうね、めちゃくちゃ良かった。
でもね、残念ながら福やん大活躍の映画ではないんですね、これ。
福やんファンのいたちむらにとって、この映画を楽しみに
していた理由など、もちろん言うまでもありません。
20年ぶりの銀幕復帰にして初主演の福やんの演技、
しかも久々のガリレオ。これをどれだけ楽しみにしたことか。
でもね、映画を観ている最中、ハゼさんが何度も何度も、
「ねぇ、どれが福やん?」と私達に聞いてくるんですよ。
ドラマ「ガリレオ」の方ではそんなことなかったのに。
そういえば確かに、映画の映像では福やんの存在感が弱い…
そんなことを感じていると、ダンナくんがこう言いました。
「福やんは、顔が小さいからいけないんだよ」えっっ?顔が小さいなんて、良いことじゃないですかっっ
実際、身長は確か180cm、脚も長くて完璧8等身風な福やん。
そんな完璧なスタイルのお方のどこがいけないってのっっっ??
ダンナくんの説明によると、映画の場合、テレビの映し方に比べて
クローズアップよりもバストショットやミドルショット(腰から上)
などの遠目からの映し方になることが多く、その映し方は
福やんのような顔が小さい人には向かないのではないかと。
実際、映画だと確かにあの美しいお顔がはっきり映る機会が少なく、
確かにどちらかというと福やんは映画映えしないタイプかもしれません。
それにひきかえ、印象に残るのが堤真一。別に堤さんの顔がでかいと言ってるわけではありません(笑)
でも決して映画映えするというほど濃いぃ顔でもない堤さんが
スクリーンの中であれほどすごい存在感を感じさせるのは、
やっぱりこれまでも発揮し続けたあの演技力の賜物でしょうか。
主役を食う、という表現をしてもいいかもしれません。
でも、この映画の本当の主役は、最初から福やんではないのかも。
映画・原作の中で重要なカギを握るセリフの一つに、
「幾何の問題に見せかけて、実は関数の問題」という、天才数学者、石神の言葉があります。
思いこみの盲点をつく問題、いわゆる引っ掛け問題を
学校の試験に出しているのだという何気ない石神のセリフ。
これが後々、事件を解く大きな手がかりになっていきます。
そして、実はこの映画そのものにも、このアナロジーがはまる。
福やんの映画に見せかけて、実は堤さんの映画。見終えた後、何かすご~くそんな気がしました。
もしかして映画制作者側としてもそういう意図があったりして。
実際、ドラマ「ガリレオ」の方はもっと科学っぽいんですよね。
だって必ず1回は、湯川先生が世間の迷惑かえりみずに
いろんなとこに突然数式書き始めちゃうシーンあるじゃないですか。
あのシーンが、この映画では一度もない。
科学っぽいのは最初の船の爆破の実験シーンだけです。
そのかわり、この映画では堤さんが数式書いちゃってるんですよね。
その意味でもこれは堤さん大活躍の映画ですよね。
まあ、いたちむらは堤さん好きだからいいんですが。
そうそう、堤さんといえば。月9ドラマ
ビギナー以来の松雪泰子とのやりとり。
ビギナーの時の二人を思い出しながらこの映画の二人を見ると、
何かこの二人、やっぱ相当うまいなぁ…と思います。
ビギナーと容疑者Xでは二人の力関係みたいなのが全然逆ですしね。
同じ共演者相手に全然違う人間を描けるのはすごいなぁと思うのです。
で、原作読んでみましたが。いやぁ。こちらもいいですねぇ、東野さん。読んで良かったです。
映画やドラマのガリレオ世界とは違って、何かこう、原作の方は
男くさいというか、それも新聞のインキのにおいがしそうな世界観。
それもそのはず。こっちは柴咲コウ扮する女性刑事は出て来ず、
湯川とやりとりをする刑事は大学時代の同窓生、草薙です。
容疑者Xの献身は、湯川と石神の男の友情を描いた作品なわけですが、
原作の方はさらに湯川と草薙刑事の友情にもスポットが当たり。
事件の全容を話す時、映画では柴咲コウに向かって湯川が
「友人として聞いてくれるか」と頼むシーンがありましたが、
原作の方ではそう頼む前に、「友達であると同時に刑事だ」と
一度湯川が草薙をつっぱねるんですよね。
映画では描き切れない複雑な立場と心境がよく表れています。
ただ、原作で一番納得がいったのは。天才数学者石神は、風貌が冴えない男として描かれているところ。
「…ずんぐりした体型で、顔も丸く、大きい。そのくせ目は
糸のように細い。頭髪は短くて薄く、そのせいで五十歳近くに
見えるが、実際にはもっと若いのかもしれない。(p.14)」
犯人の花岡靖子にとって、およそ恋愛の対象にはならなそうな男性。
これに対して、途中から現れる工藤という男(映画ではダンカン)
はとても魅力的な男性として描かれています。
「工藤は相変わらず、垢抜けた服装をしていた。石神には、
どこに行けばそういう服が売られているのかさえも分からなかった。
靖子が好むのはこういう男なのか、と改めて思った。靖子だけではない、
世の中の多くの女性が、自分と工藤のどちらかと選べといわれたなら、
間違いなく彼を取るだろうと石神は思った。(p.221)」
これでやっと合点がいきました。
だって映画だけを見てると、多少うらぶれて
しがない感じはあるものの、顔も良くて頭もいい堤さんと、
もっさり体型でオッサン一直線のダンカン工藤とだったら、
堤さん石神に走ってしまってもいいのになぁと思ったんですよね。
でも、原作の方は全く逆に描かれてるんです。
どうせなら映画も、堤さんはもちろんはずせないとして、
工藤役にダンカンを持ってくるのはやめたらよかったのに、
と思ったりします。代わりに、そうですねぇ、長塚京三とか。
守ってくれそうでダンディな二枚目オジサンといえばこの辺り…
あ、でも長塚京三だと、被害者の「富樫」役に
長塚さんの息子さんが出てるからちょっとあれですね~。
(しっかし長塚さんの息子さん、声がお父さんにそっくり~)
あとは、石神が愛する人を守るとはいえ、大好きな数学をする
時間を奪われるかもしれない刑務所行きをよく受け入れたなぁと
映画では思ったのですが、原作ではその辺の心情が
むしろとても納得のいくように書かれていました。
しがない高校教師だった石神にとって、生徒の世話を焼いたり
しなければならない俗世間にいるよりも、紙と鉛筆さえあれば
あとは自分の世界に没頭出来る塀の中を選んだのですね。
映画とは違う世界を、映画をベースに満喫する。
これ、名作を二倍楽しむやり方の一つかもしれません。
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